筑波大学附属久里浜特別支援学校 Special Needs Education School for Children with Autism,University of Tsukuba

音楽の目標をめぐって~鼻歌の意味~

 6月26日 音楽の目標をめぐって~鼻歌の意味~

 いい話を聴いた。
 ある子供の音楽の目標をめぐっての話である。

 クラスの先生は、R君の音楽の目標として、まず「簡単な曲を伴奏に合わせて歌う」を挙げた。その先生は、R君は簡単な会話ができるし、好きな歌を口ずさんでいる(鼻歌と称していたとのこと)こともあるので狙えると思うのだが、この目標、前年も達成できていないのだという。そこで、この目標が妥当かどうか検討したのだそうである。

 この話を聴いて、本校の音楽の授業を思い浮かべてみた。そう言えば歌唱の場面では、伴奏と共に歌っているのは教師で、子供は歌っていないことをしばしば目にする。子供たちは聴き見ている。伴奏を聴き、教師が歌うのを見て聴いている。決して受け身ではなく、主体的に見て、聴いている。だが、教師としてはそこで満足できない。一緒に歌ってほしいのである。とはいえ、伴奏を聴きながら歌うことは簡単なことではないようだ。R君の目標に関する話はこのあたりの話のようである。

 この目標をめぐる話で、音楽教育の経験のあるK先生から、「K君の鼻歌(・・)に先生が付き合ってみたらどうか」と提案があった。こちらの土俵に子供をのせるのではなく、子供の土俵にのってみてはどうかという意図のようである。

 クラスの先生は、それは試したことがないということで、早速実践してみたのだそうである。すると、R君は自分の鼻歌に合わせる先生の顔をまじまじと見てにっこり笑い、先生が歌うのを止めるともっと歌うように要求してきたのだと言う。K先生は、クラスの先生たちがすぐに試し、喜んで伝えてくれたのが嬉しかった、と私に話してくれた。

 自然に口をついて出てくるほど自分のものになっているからこそ、「鼻歌」になるのだろう。子供が心地よくそれを楽しんでいるところに、心地よさを崩さない程度の変化が生まれた。その変化に気付いたR君は、変化の生じさせたのが他者であること、そしてそれがいつもの先生であることに気付いた。そこで、笑顔をという表現を先生に向け、「楽しいよ」という気持ちを示したのであろう。

 先生が生じさせた変化、その変化が伴奏となったらどうだろうか。鼻歌に伴奏を付けてみたら面白かろう。