筑波大学附属久里浜特別支援学校 Special Needs Education School for Children with Autism,University of Tsukuba

角番校長の挨拶日記 その1

 角番と言っても、大相撲で大関がその地位から陥落するという、あの角番ではない。

 本校の児童用昇降口は、入ると右と左に分かれる曲がり角になっている。その角に立って、朝の挨拶をするのが、私の日課になっているからである。

 しかし、角に立つだけなら、特に「番」の文字はいらないのだが、これにも訳がある。「番」には、「番人」や「荷物の見張り番」のように、注意して見張るという意味がある。実は、4月始業式の日に、玄関をすり抜けて、棟続きの研究所に行ってしまった子どもがいたのである。あわや行方不明捜索か、という事態であった。そこで、昨年は、子どもを一番に出迎えたいという気持ちで昇降口前に立っていたのであるが、どうせ立つなら、昇降口全体が見渡せる後方の「角」がいいと思い立ち、今年度から「角」を「番」するようになったのである。

 角番に立つこと1か月あまり、同じ場所から見続けるということはいいものである。定点観測とでも言おうか。まず、私のところに来るまでに、いろいろ分かる。昇降口に向かってくるときの歩き方、先生方との挨拶、そして外履きと中履きを取り替えるときの態度に、その日の体調や機嫌などが現れてくる。そして、一連の昇降口での所作が終わって最後が、私との挨拶なのである。

 前にも書いたことがあるが(4月28日「こうちょう!おはよー」)、本校の子どもにとって挨拶はたやすいことではない。人とのかかわりを持つことが苦手なのである。挨拶は人とのかかわりの入り口である。その人を挨拶すべき人と認め、朝と昼と晩では挨拶の言葉を使い分け、頭を下げるなど適当な動作を伴わせなくてはならない。こうしたことを、子どもたちは、成長過程で大人社会を模倣しながら身につけていくのであるが、本校の子どもたちは模倣することが苦手である。一つ一つ、ていねいに学んでいかなくてはならないのである。

 こうしたことの苦手さを典型的に表す子どもは、私の前を走り抜けていくか、恰も私が存在しないかのように通り過ぎていく。そうした子どもも立ち止まってもらい、ぎこちない挨拶を交わすところから始める。もちろん、昇降口に入り、すぐに「おはようございます」と言ってくれる子どももいる。が、こちらは少数派である。

 今日、2年生のN君は、初めて自分から「おはよう」と言ってくれた。4年生のH君に、「おはよう」と私から声をかけると、彼は挨拶せず急に走りだした。しようがないなと思っていると、10m位行ってから振り向き「おはよう」と言う。ただ、慌てて振り向いたらしく滑って転んでしまった。1年生のM君は、言葉はないが、きれいなお辞儀をしてくれた。そして、顔を上げて私と目が合うと笑顔を見せた。

 朝の挨拶にもいろいろなことがあるものである。今日を初めとして、角番からの御報告も時々したいと思っている。